数日前に、みずほ銀行に寄った際、銀行内に置いてある一般には配布されない
雑誌に、永六輔さんが寄稿した記事を見かけました。
坂本九さんとの交友について載っており、感じることがありアップします。
永六輔さんは、ロカベリーが大嫌いだったらしく、坂本九さんとの出会いも彼が
ロカベリーをしていたため、(知りませんでした)あまり良い印象は持っていなかったそうです。
ただ、坂本九は、幼少期から三味線や小唄、長唄といった日本文化が身に染み
込む育ち方をしていたため、永さんの気に入り、彼の作詞した曲を歌うようになったこと・・・
ために永さんは坂本さんに『日本伝統文化の継承者』になるよう、厳しくも接し、指導もしていたそうです。
坂本さんが飛行機事故で、あのような早死にをしなければ、彼は立派にその務めを果たしていただろうと、
書いておられました。(銀行でざっと読んだので、細かい点は違っているかもしれません)
私は、坂本さんは全盛期があまりにすごかったので、彼の追悼番組で彼自身がそれを乗り越えるために
苦しんでいたのは知っていましたが、ある意味(きつい言い方かもしれませんが)過去の人だと、
あのときは感じていたので、永さんの文章を読み自分の至らなさを知らされました。
また、永さんの文章が、過去を回想するトーンであったのに、寂しさも覚えました。
永さんが、あの独特の喋り方をされるので、てっきり色ものの方だと思い込んでいた時期
もありましたが、彼の著作に触れる機会をもってから、彼が素晴らしい奥さんを持ち、
2人の娘さんの父親であることを知りました。また、その奥さんを自宅で娘さんと看取ったことも・・・
また、彼がかなりの怒りんぼであることも・・・
あの名曲、黄昏のビギンは奥さんを歌ったのですね。こんにちは赤ちゃんは、ご自身に娘さんが
生まれた喜びから書き上げた曲で、歌の最後は本当は「私がママよ」では無く、「俺が親父だ」であること・・・
あれだけ、皆に愛された数々の名曲を作詞していたのに、ある時期から突然作詞を止めた理由を
知りたかったのですが、ある本の中で、自分の子供でもある作詞を、親友である中村八大さんに
ばらばらにされてしまうことに耐えきれなかったのが理由だと、やっとおっしゃられ、納得がいきました。
ただ,ある時期に朝日新聞に、N女史らと天皇制を卑怯な方法で非難する劇に賛同者として名前が
載っているのを読んでから、彼の著作から離れていきました。
私は、天皇制の賛美者ではありませんが・・・
ただ、ときたまテレビで見かけるお姿が、急激に様変わりし、喋り方もスム-ズでないので何か大きな病気を
患っているのでは心配していましたが、今回のことで、やはりおおきな病気を患っていることを、
ネットで知ることができました。しかし、ネットは恐ろしいですね。
まだ生きている個人のプライバシーをここまで載せて良いものでしょうか?
ここでは私が日々体験したことや感じたことなど、診療に関係する以外のことも書いています。
不定期ですが、随時更新していきますのでよろしくお願いします。
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