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院長のひとりごと

2025/07/15 松平忠輝


しばらく前に、文庫本の後ろに載っている小説の紹介で隆慶一郎さんが書いた『捨て子童子・松平忠輝』
という本を見かけ、買い求め読んでいます。

今までの時代小説ではタダの跳ね返りと思っていた人物に、意外な解釈がある事に驚いています。

隆慶一郎さんの小説で『影武者家康』という本を以前読んだことがあるのですが、発想の面白さに感嘆
した覚えがあります。

並行読み(ズルズルと読んでいます)している山岡荘八さんの『伊達政宗』にも松平忠輝がでてくるのです
が、こちらはただのヤンチャとして書かれているようです。

山岡荘八さんは、戦時中従軍作家をしておられたそうで、戦地でみた凄惨な光景が、小説の中の戦闘
場面に垣間見えます。
戦後、従軍作家をしていた方は戦争協力者のレッテルを張られることが多かったので、ご苦労されたと
思います。

隆慶一郎さんの事を少し調べてみたら、学徒出陣していたんですね。
この方も大変なご苦労をされたようです。

戦時中は学徒出陣で出征、陸軍士官として中国大陸を転戦した。
この時期に陣中に持って行った『葉隠』が、作家として『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなった。
終戦後、復学して1948年 東京大学卒業、大学時代に師事していた小林秀雄が参画していた創元社
( のちの東京創元社)に入社する。短期だが大学講師でも勤務した。
1 950年頃、立教大学講師、中央大学助教授としてフランス語を、1959年まで教えていた。

1957年、脚本家としての活動を開始する。
当初は『陽のあたる坂道』など日活の映画を中心に脚本を手がける。
脚本家では、本名の池田一朗で活動しており、隆慶一郎を名乗って活動したのは、晩年の作家活動期と
なった約5年間だけである。
1957年に脚本家としての活動を始めて以降、20世紀後半の日本の
テレビ・大衆向けの文芸活動を広く長く支えた存在であった。

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