昨日、9月1日は、防災の日でした。
大正12年9月1日に、関東大震災が起き、死者20万人という大きな被害が出た事を教訓にした記念日です。
詳しいことは、吉村昭著『関東大震災』をお読みになるようお奨めします。
私の学生時代、東京の下町にある友達の家に遊びに行ったときのことです。
友が、『本所被服廠跡地が近くだから、せっかくだから見に行こう』と誘ってくれました。
私は、被服廠跡というのは初めて聞くので、一体どんな所なのかと聞き返しましたら、彼にそんなことも
知らないのかと、大変な剣幕で叱られてしました。
さっそく連れて行って貰ったのですが、余りの悲惨さに言葉を失ってしまいました。
30年以上前のことですが、広大な敷地のなかに、死者を悼む記念館が建っていました。
広島や長崎の原爆資料館を見学した際も、大きなショックを受けましたが、この場合は、
『地震』という天災で起きた惨劇でしたので、違う感慨を憶えました。
以下、吉村昭さんの著書から引用します。
『2万430坪余の広大な敷地は三角状で、附近の人々は絶好の避難地と考え、地元の相生警察署員も
同地に避難民を誘導した。
そのため被服廠跡には多くの人々が家財とともにあふれたが、火が四方から襲いかかり、
家財に引火し、さらに思いがけぬ大旋風も巻き起こって、推定3万8千人という死者を生んだ。
被服廠跡で起こった悲劇は、関東大震災の災害を象徴するもので、敷地の一坪あたりに
1、9名弱の遺体が散乱したことになり、死体が山積したのである。』
吉村氏独特の、詳細な資料収集に基づく、見事な文体で書かれた小説です。
少しグロテスクになりますが、惨劇がいかに凄まじかったか・・・修羅場から生き延びた方の証言です。
『走りながら前方を見ますと、すでに死体の山ができていて家財等が燃えています。
それを乗り越えねば、後方からの大群衆に押し倒されてしまいます。
多くの人々が死体の山を乗り越えているのが見えましたが、その上を越える時に倒れる人も
いて、その上に他の人が積み重なってゆきます。注意して見てみますと、倒れる人は死体の腕や太腿の上を
踏む人にかぎられ、丸みがあるので足がすべるのです。それに気付いた私は、倒れた人の胸や背中を踏んで
走り死体の山をようやく乗り越えました。
息が苦しく何度しゃがもうとしたかわかりませんが、そんなことをしたら踏み殺されますので、
群衆の中にもまれながら走りつづけ、ようやく人の動きが鎮まりましたすきに地面に顔をつけて息を吸いました。
その間にも木材や家財が舞い上り落下するので、悲鳴が絶え間なくつづいていました。
私は、何千人とも知れぬ人々とともに右へ左へ移動することを繰り返していましたが、
不思議なことに倒れた人の体にはすぐ火が燃え移ります。
衣服も焼けはがれて裸体同然ですのに、たちまち人の体が炎に包まれることが不思議に思えました。』
このような惨劇が2度と起こらない様、祈ります。
ここでは私が日々体験したことや感じたことなど、診療に関係する以外のことも書いています。
不定期ですが、随時更新していきますのでよろしくお願いします。
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