こころの浅瀬で
もがいていてもしょうがない
こころの深みに潜らなければ
おのれのヘドロは見えてこない
偽善
迎合
無知
貪欲
自分は違うと思っていても
気付かぬうちに堆積している
捨てたつもりで溜まるもの
いつまでたっても減らぬもの
新聞に、12月の詩として載っていました。
谷川さんの詩とはあまり御縁がありません。
というか、詩というもの自体を感じ取る能力が、自分には欠けているのではと思うのです。
本当に若いころにハイネやバイロンの詩集を買ってはみたものの、
全くのチンプンカンプンで、何処がいいのか理解できませんでした。
先日、本屋さんで出会った、吉川理恵さんという作家の『湯船に落ちた猫』という本の中に、
「10代の終わりに、文学としての美術にたとえられる小説には見向きもせず、
文学としての音楽にたとえられる詩を書き始めた。」という文章を読み、
小説と詩の違いが、何となくわかったような気がしました。
私は、一人の作家の作品を追っかけて読み進める癖があるのですが
村上春樹→河合隼雄と読んでいる時に、河合さんと谷川さんの対談を読んだ程度です。
河合さんの後、読む作家に困って、やはり本屋さんで『佐野洋子』さんと出会いました。
あの有名な絵本「100万回生きた猫」を書いた方です。
あの絵本自体が私には、気にはなるけど何となくわからない、といった本だったのですが、
佐野さんのエッセイを読んで、彼女の一種毒のある文章に度肝を抜かれ、でも心惹かれ読みふけりました。
佐野さんの「シズコさん」という本を読んだ時の衝撃はかなり私の心を揺さぶりました。
この本の中で、佐野さんと河合隼雄の交流が載っていました。
こういった時に、読書の喜びを感じます。
ここでは私が日々体験したことや感じたことなど、診療に関係する以外のことも書いています。
不定期ですが、随時更新していきますのでよろしくお願いします。
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