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院長のひとりごと 2

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2023/03/30 昔は(それでも)良かった。 2


私が大学を卒業し耳鼻咽喉科の医局に入局した頃は、いろんな意味で大らかでのんびりしていました。
『完全看護』なんて言葉はなくて、大学病院の病室には『付添婦さん』という名前のかたが、家族に依頼され
ベットの横で寝泊まりをして重病の病人のお世話をしていました。

医局の事務員さんに「ああいった人はどんな身寄りなんですか」と聞いたところ、「先生はお坊ちゃんだから
何も知らないのね。戦争でご主人に先立たれた方や、身寄りの無い御婦人方ですよ」と教えてくれました。

ちゃんとした職業で、ある意味家族よりも病人の間近で、病気の推移や死に様を見てくれていました。

病人がなくなると、人柄のいい方はすぐに次の病人の付添に請われました。
涙の乾く間もなく次の重病の方の付添につかれました。

ただ「亡くなった方がとても立派な方だったので、お線香をあげさせて下さい」と遺族の方にお願いしても
遺産目当てでと穿った見方をされ断られることが多かったのはお気の毒でした。

大学病院の門前には小さな旅館が何軒もありました。
これらも、能登地方など遠隔地から看病に来た人たちが泊まるところだと教えてもらいました。
そんな時代でしたが、今よりずっと良かったと感じます。

大学病院でも、患者さんや家族が希望すれば最後まで入院して看取ってくれてくれていたということです。

話は変わりますが、沢木耕太郎という作家さんを最近になって知り、インドを旅行(放浪)している時に
三等車に乗り込んだ作者がお茶を買う場面が出てきました。
お茶は陶器の入れ物に入っており、インド人はそれを窓から投げ捨てる。土から出来たものは土に返すと。

突然、日本の昔の列車で小さな土瓶に入ったお茶を買い求めて飲んでいたのを思い出しました。
その後、同じような形をしたプラの容器に変わりました。それもなくなりましたね。

なんでもプラスチックなんだから、とプラ嫌いの家人のボヤキが聞こえてきます。

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院長のひとりごと

ここでは私が日々体験したことや感じたことなど、診療に関係する以外のことも書いています。
不定期ですが、随時更新していきますのでよろしくお願いします。

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