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院長のひとりごと 2

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2022/10/26   年代物の兵器で戦えと言われても。


23日の日曜日に、福井市の大通りで自衛隊のパレードをしていました。
天気も良かったので初めて観に行きました。今年で9回目だそうです。

今まで、ジェット機が通過しているのを自宅から眺めていただけでしたが、行進をして思ったことが
あります。

過去には、日陰者扱いされた自衛隊が、初めて認知されたのは昭和38年の福井豪雪の際の災害
救助出動だったと記憶しています。
完全に雪に埋もれた国鉄の再開に活躍され、認知度が高まりました。

自衛隊のパレードを観ていましたら、戦車が一台トラックに乗せられて搬送されました。
アナウンス嬢が「七四式戦車です。50年間日本の防衛に貢献しています」と紹介していました。

『へー。50年も前の戦車が現役なんだ。』と思わず声に出てしまいました。

ちょうど司馬遼太郎さんの満州で戦車兵として過ごしていた時の随筆を、その朝読んでいました。

司馬さんは八九式中戦車の指揮官をしていたそうです。
八九式中戦車は、神武歴2389年に製造が開始されたもので、当時の西洋諸国の戦車と比べると馬と
子羊のような違いだったそうです。

司馬さんが駐屯していた満州で、少し前に起きたノモンハン事件でソビエトの戦車に対して、まるで
ブリキのおもちゃだったそうです。
現地の部隊も、どれだけ無力なものかは知っており、死を覚悟していたそうです。
問題は、陸軍上層部もその事実をしりながら、劣勢は訓練と大和魂で対抗せよと訓示していたそう
です。
「戦車と名がついているなら、敵の戦車もわが軍の戦車も同格である」と、本気で言っていたそうです。

続く。

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院長のひとりごと

ここでは私が日々体験したことや感じたことなど、診療に関係する以外のことも書いています。
不定期ですが、随時更新していきますのでよろしくお願いします。

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